日本人が海外に財産を残して亡くなったとき、あるいは外国籍の方が日本で亡くなったとき、最初に直面するのが「どの国の法律で相続を処理するのか」という問題です。これは「準拠法」と呼ばれ、国によって考え方が大きく異なります。本記事では、国際相続の出発点となる準拠法のルール、関連する4つの主要な条約、そして実務でよく登場する「反致」という独特の概念までを、行政書士の視点から整理します。タイ・米国・フィリピンなど各国別の解説記事へ進む前の土台としてご活用ください。
この記事の要点
- 日本の相続準拠法は通則法36条「被相続人の本国法による」が原則
- 世界の国は「相続統一主義」と「相続分割主義」の2派に分かれており、財産所在地によって複数の法律が同時に適用される
- 「ハーグ条約」と総称される条約は40近くあり、相続関連だけでも複数。それぞれ別物として整理する必要がある
- 主要4条約のうち、日本・タイともに加盟する条約は限られ、各国別の対応が今も実務で必要
「準拠法」とは何か
国際相続では、被相続人の国籍、財産の所在地、相続人の国籍などが複数の国にまたがります。そのため「どの国の法律でこの相続を処理するか」をまず決めなければなりません。これを定めるのが準拠法です。
準拠法を決めるルール自体は、各国がそれぞれ自国の国内法で定めています。これを「国際私法」と呼び、日本では平成18年(2006年)に施行された「法の適用に関する通則法」がその役割を担っています。
ここで押さえておきたいのは、相続全体が必ず1つの国の法律で処理されるとは限らない、という点です。財産の種類が動産か不動産か、財産がどこにあるか、被相続人の国籍はどこか、という条件によって、複数の国の法律が同時に適用される場面が発生します。これが国際相続を複雑にする最大の要因です。
日本のルール ― 通則法36条と37条
日本における国際相続のルールは、通則法36条と37条に集約されます。条文自体は短いものですが、実務上のインパクトは大きいので、原文ベースで確認しておきましょう。
通則法36条 ― 相続の準拠法
条文は「相続は、被相続人の本国法による」とだけ規定しています。つまり、亡くなった方の国籍がある国の法律が、相続全体の準拠法になるということです。日本国籍であれば日本法、タイ国籍であればタイ法、米国籍であれば米国法です。
ここで注意すべきは、基準が「住所地」や「常居所地」ではなく「本国(国籍)」である点です。日本人が長年タイに住み、タイで亡くなったとしても、原則として日本法が相続の準拠法になります。ただし、後述するとおり、財産がある国の法律が別途適用される場面はあります。
通則法37条 ― 遺言の成立及び効力
条文は「遺言の成立及び効力は、その成立の当時における遺言者の本国法による」と規定しています。遺言が有効に成立したか、何を遺言できるか、といった内容面のルールについても、原則として遺言を作った時点の本国法によります。
ただし、遺言の「方式」(自筆証書か公正証書か、証人は何名必要か、といった形式面)については、後述する1961年のハーグ条約に基づく別の国内法「遺言の方式の準拠法に関する法律」が適用されます。遺言の中身は通則法37条、形式は遺言方式準拠法、という区別が大切です。
「本国法」とはどう決まるか
通則法36条の「本国法」は、被相続人が国籍を有していた国の法律です。複数の国籍を持つ場合や、米国のように州ごとに法律が異なる「不統一法国」の場合は、通則法38条以下の規定で個別に決まります。
- 複数国籍のうち日本国籍を含む場合 → 日本法を本国法とする
- 複数国籍だが日本国籍を含まない場合 → 常居所がある国の法、なければ最も密接な関係がある国の法
- 米国のような不統一法国 → 国の規則(州指定ルール)に従い、なければ最も密接な関係がある州の法
相続統一主義と相続分割主義
ここから少し深い話に入ります。世界の国々は、相続準拠法について大きく2つの考え方に分かれています。
相続統一主義
動産か不動産かを問わず、被相続人の本国法または住所地法で一括して処理する考え方です。日本、韓国、ドイツ、イタリア、スペイン、スウェーデンなどが採用しています。日本の通則法36条がまさにこの立場です。
相続分割主義
動産と不動産を分けて、別々のルールで処理する考え方です。米国、英国、フランス、中国、そしてタイがこちらに分類されます。典型的なルールは次のとおりです。
- 不動産 → その不動産が所在する国の法律(所在地法)
- 動産 → 被相続人の死亡時の住所地の法律
これがなぜ重要かというと、たとえば日本人がタイに不動産を残して亡くなった場合、日本では相続統一主義により日本法を適用しようとしますが、タイでは相続分割主義によりタイ法(所在地法)を適用しようとします。結果として、同じ財産について2つの国の法律が同時に主張される状況が生まれるのです。
この「ねじれ」を調整する仕組みが、次に説明する「反致」です。
反致 ― 外国法が日本法に戻ってくる仕組み
通則法36条で「被相続人の本国法による」とされた結果、その本国法を見にいくと、その国の国際私法が「いやいや、不動産は所在地法ですよ」と別の国の法律を指定し返してくることがあります。
このとき、日本の通則法41条は次のように定めます。
外国の本国法が「日本法による」と指定し返してきたときには、最終的に日本法を適用する、というルールです。これを反致(はんち)と呼びます。
具体例:米国人が日本に不動産を残して亡くなった場合
- 日本通則法36条 → 「被相続人(米国人)の本国法による」 → 米国法を見にいく
- 米国の国際私法 → 「不動産は所在地法による」 → 日本法を指定し返してくる
- 通則法41条(反致) → 結局、日本法を適用する
日本人がタイに不動産を残した場合は反致が成立しない
ここは誤解されやすい点です。日本人が被相続人の場合、通則法36条で最初から「日本法」が指定されるので、「外国法から日本法への戻り」が発生する余地がありません。したがって反致の問題はそもそも生じません。
ただし、これで終わりではないのが国際相続の難しさです。タイの裁判所では、タイの抵触法(仏暦2481年・法の抵触に関する法律)第37条により「不動産の相続は所在地法」とされ、タイ所在の不動産にはタイ法が適用されます。日本側では日本法、タイ側ではタイ法、という別々の適用が並行して走るのです。
国際相続にかかわる4つの条約
国際相続の場面で出てくる「条約」は、実は1つではありません。ここでは特に押さえておきたい4本を整理します。
① 遺言方式ハーグ条約(1961)
正式名称は「遺言の方式に関する法律の抵触に関する条約」です。1961年10月5日にハーグ国際私法会議で採択されました。
この条約の趣旨は、遺言を方式の面でできるだけ救済することです。具体的には、行為地法、本国法、住所地法、常居所地法、不動産所在地法のいずれかに方式が合致していれば、その遺言を有効とする、という遺言救済型のルールを定めています。
日本は1964年にこの条約を批准し、国内法として「遺言の方式の準拠法に関する法律」(昭和39年法律第100号)を制定しました。第2条はまさに条約の趣旨を反映した5つの選択肢を列挙しています。
- 行為地法
- 遺言成立又は死亡当時の遺言者の国籍国法
- 遺言成立又は死亡当時の遺言者の住所地法
- 遺言成立又は死亡当時の遺言者の常居所地法
- 不動産に関する遺言については、その不動産の所在地法
たとえば、日本人がカリフォルニア在住中にカリフォルニア州法に従って遺言を作成した場合、日本では「行為地法」または「住所地法」のどちらかに方式上合致しているため、方式面では有効と判断される可能性が高いということになります。
タイはこの条約に未加盟ですが、日本国内での遺言の方式判断は日本の国内法によるので、タイで作成された遺言も日本側ではこの5つのいずれかに合致しているかで判断されます。
② 国際遺言条約(1973ワシントン)
正式名称は「国際遺言の方式に関する統一法を定める条約」です。1973年10月26日にワシントンD.C.で採択され、1978年2月9日に発効しました。
ここで重要なのは、この条約はハーグ条約ではないという点です。主管したのはUNIDROIT(私法統一国際協会)というローマに本部を置く国際機関で、ハーグ国際私法会議とは別組織です。日本語の解説で「ハーグ条約」と一括りにされていることがありますが、上記①の遺言方式ハーグ条約とは目的も主管も別物です。
この条約の特徴は、「国際遺言」という共通の遺言フォーマットを設定し、加盟国間で互いに有効と認め合う仕組みです。具体的には、署名と認証(2人の証人と権限ある人による認証)を伴う方式が定められています。
加盟国は約20か国で、米国の一部州、オーストラリア、カナダの一部州、フランス、イタリア、英国、ベルギー、ポルトガル、スロベニア、ロシア、バチカン市国などが含まれます。日本は未加盟、タイも未加盟です。
つまり、日本で「国際遺言」の方式に従って遺言を作成しても、日本ではこの条約に基づく特別な扱いを受けるわけではなく、原則どおり遺言方式準拠法の5つの選択肢で方式の有効性が判断されることになります。
③ 相続準拠法ハーグ条約(1989)
正式名称は「相続の準拠法に関する条約」で、1989年8月1日に採択されました。これは相続の準拠法そのものを国際的に統一しようとする野心的な条約です。
しかし、批准したのはオランダ1か国のみで、そのオランダもその後撤回したため、現在に至るまで条約は発効していません。署名国もアルゼンチン、ルクセンブルク、オランダ、スイスの4か国にとどまります。
この事実が示すのは、「相続準拠法の世界統一は実現していない」ということです。各国がそれぞれ自国の国際私法で個別にルールを決めている現状は、今後しばらく続くと見てよいでしょう。だからこそ、各国別の検討が今もなお実務で必要なのです。
④ アポスティーユ条約(1961ハーグ)
正式名称は「外国公文書の認証を不要とする条約」です。これは相続そのものを規律する条約ではありませんが、国際相続の手続きで戸籍謄本、遺産分割協議書、委任状などを海外に提出する場面で必ず関係します。
加盟国間では、書類に外務省が「アポスティーユ」という付箋を付けるだけで、相手国の領事認証なしに公文書として認められる仕組みです。日本は加盟済で、締約国は世界で約130か国にのぼります。
4条約の整理表
| 通称 | 採択年・主管 | 日本 | タイ |
|---|---|---|---|
| 遺言方式ハーグ条約 | 1961年・ハーグ国際私法会議 | 加盟(1964年) | 未加盟 |
| 国際遺言条約(ワシントン) | 1973年・UNIDROIT | 未加盟 | 未加盟 |
| 相続準拠法ハーグ条約 | 1989年・ハーグ国際私法会議 | 未加盟(条約自体未発効) | 未加盟 |
| アポスティーユ条約 | 1961年・ハーグ国際私法会議 | 加盟 | 2025年12月加入承認、未発効 |
「ハーグ条約」は1つではない
ここまで読んでお気づきのとおり、「ハーグ条約」と呼ばれるものは1つではありません。ハーグ国際私法会議(HCCH)で採択された条約は40近くあり、本記事で扱った3本のほかにも次のような条約があります。
- 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(1980年・通称「ハーグ条約」と呼ばれることが多い)
- 民事又は商事に関する裁判上の文書の外国における送達及び告知に関する条約(1965年・通称「ハーグ送達条約」)
- 信託の準拠法及び承認に関する条約(1985年)
- 国際養子縁組に関する子の保護及び協力に関する条約(1993年)
「ハーグ条約に加盟していますか」と聞かれたとき、どの条約を指しているのかを必ず確認することが、国際相続の実務では大切です。一般のニュースで「ハーグ条約」と書かれているとき、たいていは1980年の子の奪取条約を指しているので、相続の文脈で同じ言葉が出てきたら別物と考えるべきです。
加えて、すでに触れたとおり、1973年の「国際遺言の方式に関する統一法を定める条約」はワシントンD.C.で採択されUNIDROITが主管したもので、ハーグ条約ではありません。日本語の解説でこの2つを混同している記事は少なくないため、特に注意したい点です。
国際相続を考える時のチェックリスト
ここまでをふまえて、国際相続の場面で最初に確認しておきたい項目を整理します。
- 被相続人の国籍は何か(単一か複数か、不統一法国の出身か)
- 被相続人の常居所地・住所地はどこにあったか
- 財産はどこに、どの種類で(動産・不動産)分布しているか
- その国は相続統一主義か、分割主義か
- その国は反致を認めているか
- 遺言があるか、その方式は複数国で有効か
- 各国でアポスティーユ・領事認証のどちらが必要か
- 相続税の申告義務がどの国で発生するか
これらを一つひとつ確認することで、「どの国の、どの法律が、財産のどの部分に効くのか」が見えてきます。最初にこの整理をせず手続きを進めると、後から「この国の法律も適用されていた」と気づき、やり直しになるケースが少なくありません。
まとめ
国際相続は、国境をまたぐだけでなく、複数の法体系をまたぐという特徴があります。日本一国で完結する相続とは違い、「どの国の、どの法律が、財産のどの部分に効くのか」という重ね合わせの整理から始めなければなりません。本記事で見てきたとおり、世界の国は2つの主義に分かれ、関連条約も日本・他国が加盟しているもの・していないものが混在しています。
この全体像をまずつかんでおくと、各国別の論点(タイの土地相続制限、米国のプロベイト、フィリピンの遺留分など)に進んだときにも、見通しが立ちやすくなります。本記事はあくまで土台ですので、ご自身のケースに当てはめる段階では各国編の記事も併せて参照してください。
気になる点や、ご自身の状況に当てはめて考えたい方は、こまいぬ行政書士法人までお気軽にどうぞ。
よくあるご質問
日本人がタイで亡くなった場合、日本法とタイ法のどちらが適用されますか
原則として、相続全体については日本の通則法36条により日本法(被相続人の本国法)が適用されます。ただし、タイにある不動産については、タイ側で抵触法37条により「不動産の所在地法」としてタイ法が適用されます。日本では日本法、タイではタイ法という二重適用の状況が発生し、それぞれの法律で並行的に手続きを進める必要があります。
反致は日本人が被相続人の場合にも問題になりますか
通常はなりません。反致(通則法41条)は「外国法から日本法に戻る」ケースを指す仕組みで、最初から日本法が指定される日本人被相続人のケースでは反致の余地がありません。ただし、日本以外の国籍も同時に持つ二重国籍のケースなどでは、別途検討が必要になることがあります。
海外で作った遺言は日本でも使えますか
1961年の遺言方式ハーグ条約に基づく国内法「遺言の方式の準拠法に関する法律」第2条により、行為地法、本国法、住所地法、常居所地法、不動産所在地法のいずれかに方式上適合していれば、日本でも方式面では有効と扱われます。ただし、内容面の有効性、登記実務での受け入れは別問題で、現地法に基づく弁護士意見書の提出を求められることもあります。
タイ向けの書類は今後アポスティーユで済むようになりますか
タイは2025年12月9日に加入を閣議承認しましたが、加入文書未寄託のため現時点では未発効です。それまでタイ向けの書類は外務省の公印確認を受け、駐日タイ大使館で領事認証を取得する必要があります。発効後は手続きが大幅に簡素化される見込みなので、最新情報を必ず確認してください。
「国際遺言」を作成すれば世界中で有効になりますか
1973年ワシントン条約(国際遺言条約)に加盟している国の間でのみ有効です。加盟国は約20か国で、日本は加盟していません。したがって、日本で執行を予定する場合は、この方式そのものよりも、日本法または「遺言の方式の準拠法に関する法律」の5つの選択肢のいずれかに合致した遺言を作るほうが、日本国内の手続きはスムーズです。

