【タイの相続法】行政書士による海外法解説コラム
今回はタイをテーマに相続法を見ていこうと思います。「亡くなった夫の遺産、妻である私が半分もらえるのは当然でしょう?」—日本ではそうですが、タイでは違います。タイで財産を持つ日本人、タイ人と結婚した日本人が知っておくべき、タイ相続法の意外な事実。民商法典第6編(บรรพ 6 มรดก)に基づくタイの相続制度は、日本とは全く異なる発想で作られています。その驚くべき違いを分かりやすく解説します。
目次
📝 6つの順位—タイの緻密な相続人制度
日本の相続では、法定相続人は「子」「直系尊属」「兄弟姉妹」の3つのグループに分かれています。シンプルで分かりやすい制度です。しかし、タイの民商法典第1629条(มาตรา ๑๖๒๙)を見ると、なんと6つもの順位(ลำดับ)があるのです。
順位 | タイ語 | 日本語訳 | 具体例 |
---|---|---|---|
第1位 | ผู้สืบสันดาน | 直系卑属 | 子、孫、ひ孫… |
第2位 | บิดามารดา | 父母 | 実父、実母 |
第3位 | พี่น้องร่วมบิดามารดาเดียวกัน | 全血兄弟姉妹 | 両親が同じ兄弟姉妹 |
第4位 | พี่น้องร่วมบิดาหรือร่วมมารดาเดียวกัน | 半血兄弟姉妹 | 父か母の一方が同じ兄弟姉妹 |
第5位 | ปู่ ย่า ตา ยาย | 祖父母 | 父方・母方の祖父母 |
第6位 | ลุง ป้า น้า อา | おじ・おば | 父母の兄弟姉妹 |
全血と半血を区別する意味
特に興味深いのは、第3位と第4位で全血兄弟姉妹と半血兄弟姉妹を明確に区別している点です。これは日本にはない発想です。
🔍 具体例で考えてみましょう
ソムチャイさんには、同じ両親から生まれた姉アンと、父親が再婚してできた弟ノイがいます。ソムチャイさんが独身のまま亡くなった場合:
- タイ法:姉アンが全額相続(第3位)。弟ノイには相続権なし
- 日本法:姉アンと弟ノイが半分ずつ相続
家族の「親密さ」を順位に反映させる—これがタイ法の特徴です。
おじ・おばまで相続人になる
日本では兄弟姉妹の子(甥・姪)までが代襲相続人になりますが、それ以上遠い親族は相続人になりません。しかし、タイでは第6順位として「ลุง ป้า น้า อา」(おじ・おば)まで法定相続人になります。つまり、独身で子も親も兄弟もいない人が亡くなった場合、日本なら国庫に帰属しますが、タイではおじ・おばが相続することになるのです。
📝 配偶者は「添え物」?変動する相続分の謎
日本では配偶者は「常に相続人」。子がいれば2分の1、親なら3分の2、兄弟姉妹なら4分の3と、かなり優遇されています。ところが、タイの民商法典第1635条(มาตรา ๑๖๓๕)による配偶者の扱いは、日本人には衝撃的かもしれません。
タイでは、配偶者は子と「同じ1人分」として扱われます。子が2人いれば3分の1、子が5人いれば6分の1になってしまうのです。
😱 衝撃の事実
タイ人夫と日本人妻の夫婦。夫には前妻との子が4人います。夫が亡くなった場合:
- もし日本法なら:妻が1/2、子4人で1/2を分ける(各1/8)
- タイ法では:全員が1/5ずつ。妻も子も同じ取り分!
他の相続人次第で変わる配偶者の取り分
民商法典第1635条によると、配偶者の相続分は以下のように変動します:
- 子(第1位)がいる → 子と同等の1人分
- 父母(第2位)or 全血兄弟姉妹(第3位)がいる → 1/2
- 半血兄弟姉妹(第4位)~おじ・おば(第6位)がいる → 2/3
- 誰もいない → 全額
この制度、配偶者を重視する日本人には驚くこともあるかもしれません。しかし、タイでは血縁関係を重視する文化的背景があるのです。
📝 まず財産を「分ける」、それから「相続する」
日本では、夫名義の財産は夫のもの、妻名義の財産は妻のもの。相続はそれぞれの名義財産について発生します。しかし、タイには「สินสมรส(シンソムロット)」という共有財産の概念があり、これが相続を複雑にしています。
タイの財産区分
🏠 สินสมรส(共有財産)
- 婚姻中に取得した財産(民商法典第1474条)
- 特有財産の果実(利息、配当、賃料等)
- 名義に関係なく夫婦の共有
💎 สินส่วนตัว(特有財産)
- 婚姻前から持っていた財産(第1471条)
- 婚姻中に相続・贈与で取得した財産
- 身の回り品、職業上必要な道具
実際の計算例
設定:タナコン氏(夫)が死亡。遺産総額1億バーツ
内訳:共有財産8,000万バーツ、夫の特有財産2,000万バーツ
相続人:妻と子ども2人
共有財産を分割(民商法典第1533条)
8,000万バーツ ÷ 2 = 妻が4,000万バーツ先取り
相続財産の確定
夫の持分4,000万 + 特有財産2,000万 = 6,000万バーツ
相続分の計算(妻と子2人で3等分)
6,000万 ÷ 3 = 各2,000万バーツ
妻:4,000万(先取り)+ 2,000万(相続)= 6,000万バーツ
子:各2,000万バーツ
この「まず分けてから相続」という二段階方式は、日本人には馴染みがありません。しかし、タイでは夫婦の財産は「二人で築いたもの」という考えが強く、この制度に反映されているのです。
📝 外国人は土地を相続できない衝撃
「妻が亡くなったら、家と土地は当然夫の私が相続するでしょう?」—残念ながら、タイではそうはいきません。土地法(พระราชบัญญัติที่ดิน)により、外国人は原則として土地を所有できないのです。
⚠️ 外国人の土地相続制限
原則:外国人は土地を相続できるが、所有はできない
結果:相続後1年以内に売却義務
例外:内務大臣の特別許可(ただし、実際にはほぼ認められない)
違反時:土地局が強制売却、売却額の5%を手数料として徴収
実際にあった話
日本人の田中さん(仮名)は、タイ人の妻と20年間バンコクで暮らしていました。妻名義で購入した一軒家で幸せに暮らしていましたが、妻が交通事故で急逝。悲しみに暮れる間もなく、田中さんは衝撃の事実を知ります。
「土地は相続できますが、1年以内に売却してください」
20年間住み慣れた家を手放さざるを得なかった田中さん。しかも、売却を急ぐ必要があるため、買い叩かれる可能性も…
コンドミニアムなら大丈夫?
幸い、コンドミニアムについては例外があります。コンドミニアム法により、建物全体の外国人所有割合が49%以内であれば、外国人も相続により所有権を取得できます。ただし、この49%枠がすでに埋まっている物件では、相続もできません。
💡 対策のヒント
- 土地付き建物ではなく、コンドミニアムを選ぶ
- 30年の長期賃借権(リース)を設定する
- 子どもがいる場合は、子ども名義にする
- 会社を設立して会社名義で所有(ただし維持費がかかる)
📝 遺留分なし!信託も無効!タイ独自の制度
遺留分がない自由さと危険
日本では、配偶者や子には最低限の相続分(遺留分)が保障されています。どんな遺言を書いても、遺留分を侵害することはできません。しかし、タイにはこの制度がありません。
極端な例で比較
🇯🇵 日本の場合
「全財産を愛人に遺贈する」という遺言があっても、妻と子は遺留分(財産の1/2)を請求できる
🇹🇭 タイの場合
「全財産を寺院に寄付する」という遺言があれば、それが有効。妻も子も1バーツも受け取れない!
信託が使えない不便さ
日本では家族信託を使った柔軟な財産承継が可能ですが、タイでは民商法典第1686条により、信託は完全に無効とされています。
📚 なぜ信託が禁止に?
実は、タイでも1923年まで信託制度がありました。しかし、当時の社会情勢や法制度の未整備により廃止され、現在まで復活していません。「ทรัสต์(トラスト)」という言葉は残っていますが、法的効力はありません。
僧侶の財産は寺院へ
タイならではの制度として、民商法典第1623条の規定があります。僧侶(พระภิกษุ)が出家中に得た財産は、その僧侶が亡くなると自動的に所属寺院の財産となります。
🏛️ 出家と財産
タイでは、男性が一時的に出家することは珍しくありません。もし出家中に宝くじが当たったり、相続を受けたりした場合、その財産は個人のものではなく寺院のものとなります。家族は相続できません。
複婚時代の名残
現在のタイは一夫一婦制ですが、民商法典には過去の複婚制度の名残があります。第1636条により、1935年の民商法典第5編施行前に複数の妻がいた場合の相続規定が残っています。
第二夫人の相続分 = 正妻の相続分の1/2
もちろん、現在では新たな複婚は認められませんが、法律上はこの規定が生きています。90歳を超える高齢者の相続では、理論上適用される可能性があります。
まとめ
タイの相続法は、6つの細かい順位制度、配偶者の変動相続分、共有財産の概念、外国人の土地所有制限、遺留分の不存在など、日本とは根本的に異なる特徴を持っています。
これらの違いは、単なる法技術の問題ではありません。血縁重視の文化、仏教の影響、歴史的背景など、タイ社会の価値観が色濃く反映されているのです。
タイに財産を持つ方、タイ人と結婚された方は、これらの違いを理解した上で、適切な相続対策を立てることが大切です。次回は、この違いが国際相続の実務にどのような影響を与えるか、詳しく見ていきましょう。